ごろた石の幸せ

うつ病の末たどりついた静かな場所

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病気と障害

えー毎度のことですが、これは単なる個人的なブログであり、ここに書かれている内容に学術的な裏付けは全くないことをあらかじめご了承ください。
m(_ _)m オソマツサマデス



『そのままでいい』とか『なすがままに』とか『あるがままに』とか『自然体で』とか、『心と身体』をテーマに色々と調べていると、こういう言葉をよく聞きます。確かにうつ病経験者の私としては感覚的には実に納得のいく言葉なのですが、その半面どこまでが『そのままでいい』のかということを以前から常々疑問に感じておりました。

私は本もあまり読まないので一般的な解釈とはだいぶ異なるかもしれませんが、個人の見解として聞いて頂ければ幸いです。


例えば、カチカチ山のタヌキのように、自分の尻に火がついた状態で『そのままでいい』とは言えません。心頭を滅却して涼しく感じる人も中にはいるのかもしれませんが私にはできません。ましてや目の前の他人に火がついて苦しんでいるのに『そのままでいい、心頭滅却しろ』と放って置ける人は、もはや精神異常者にしか見えないんじゃないかと思います。

体が熱いと感じたら本能的に火を消そうとする、それが自然です。少なくとも『そのままでいい』とは『何もしないことを選択する』ことではないんです。

では、何がそのままでよくて何がそのままではいけないのか。私は病気と障害に例えるのが最も近いのではないかと考えました。

私自身無学なので医学的な病気と障害の正式な定義は知りませんが、イメージ的には、

病気とは - 何もしなくても苦しくて、体が異常信号を発している不安定な状態
障害とは - 何もしてない時は苦しくないが、何かをしようとすると不便を感じる安定した状態

ではないかというような認識でいます。

老眼は痛くないけど不便なので障害。交通事故で歩けなくなった人は、入院して痛みがあるうちは病気、痛みがなくなり退院したのに生活をするのに不便なことを障害、というふうにここでは整理したいと思います。

生まれつき手足のない人や目が見えない人、耳の聞こえない人。基本的に障害は治すことが出来ないので、道具を使うなり何らかの工夫をして社会に適応していくことになります。老眼は老眼鏡をかければ文字が読めるようになり、歩けない人は車いすや義足を用いることで移動できるようになったりもします。

では仮に、人類が最初から腕が一本だけの生き物だったとしたら社会はどうなっていたでしょうか? たぶん一本腕でも使えるようにすべての道具は開発され、何不自由なく人々は暮らしていたのではないかと想像されます。
逆に人類の腕が元々四本だったらすべての道具は四本腕用に開発され、二本腕の人は社会に適応できない『障害者』と呼ばれるようになったことでしょう。

鳥の社会に人間が混ざれば空を飛べない障害者となり、魚の社会に混ざればエラ呼吸が出来ない障害者となります。つまり障害者とは寿命も違えば機能も違う『個性的な人』であり、障害とは個性や多様性を重視しない閉鎖的な社会が作り出した差別的な『概念』ということになるんだと思います。


障害っていうのは

そういう取扱をされるのが障害なんです

障害っていうのは

大昔から決まっているのではなくて

その時代のその社会が決めている


(by 福島智 東京大学教授)

presented by 地球の名言?



バリアフリー研究の第一人者である福島教授はご自身が盲ろう者です。我々健常者が良かれと思いバリアフリー化すること自体を逆に障害と捉えることもできるのです。

大量生産がもたらした画一的な価値観は、基準を満たす合格品と同時に、基準を満たさない不合格品を同時に生み出しました。形の悪い野菜は味的には変わらなくてもB品として分類され市場に出回ることは滅多にありません。現代社会はその概念を人間にも適用しているわけです。

みにくいアヒルの子は、一羽だけ羽根が灰色であるという理由で仲間からのイジメに遭います。現代社会では概ね『イジメられる方に原因がある』『社会に適応できない方に問題がある』として、薬か何かで羽根を白くすることで助けようとするのです。しかしながら、見た目をいくら近づけても白鳥がアヒルになれるわけではないので、一時的な効果はあっても別の差異によってまた新たな問題が生じます。

そもそも、みにくいアヒルの子の身体には何の異常もないんです。それが障害者扱いされて精神的な苦痛を受ける。みにくいアヒルの子自身は『そのままでいい』のに、居場所が間違っているために感じる苦痛は『そのままではいけない』。本来の自然な状態にないことを苦痛というシグナルで教えてくれる存在が『病気』なのではないかと思うのです。

つまり、

病気とは、本来の状態に戻るために越えなければならない壁、変えられるもの。
→ そのままではいけない

障害とは、個性(異常に見えることが病気)であり、変えられないもの。
→ そのままでいい


というような整理になるのだと思います。言い換えれば、障害と上手く付き合っていくのはいいが、病気と上手く付き合っていくのはダメ、ということになります。

ただし、見方を変えれば病気の経験も『障害』となります。変えられない過去も環境もすべて『障害』になるわけです。そしてその上に立って、本来あるべき姿に近づけるべく『今』を選択していくことが、我々に与えられた課題なのではないかと私は感じています。


表面的、一時的な対処を繰り返した結果、二進も三進もいかなくなったこの世界も、本来あるべき場所にすべてのものをひとつずつ戻していけば、少しずでもつ痛みは和らいでいく、そんな気がしています。



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コメント

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2012-04-04 Wed 21:23 | | [ 編集 ]
成る程感心させられました(*☻-☻*)こーいった哲学的な事を読み参考にするのがとても大好きなのですが、ものすごく分かりやすく、納得できました!こちらのブログは個人の見解との事ですが、視点や捉え方が的を得ていてとても興味深いです!これからも読まさせて頂きます。

有難うございました(*☻-☻*)!
2012-07-03 Tue 21:53 | URL | 杉森 [ 編集 ]
せっかく素敵なコメントを頂けたというのに、ここ数日家を空けていた関係で返事が遅くなってしまいスミマセンでした。( ̄▽ ̄;)ゞ

私も、他人の意見を鵜呑みにするのではなく参考に留めて自分で考えるのが好きなのですが、杉森さんにもそういう読み方をして頂けたようなので、とても嬉しかったです。^^

ブログを更新できない事にもなんか意味があるのだろうと、自然に書きたい気持ちが起こるまで無理して記事は書かないようにしているのですが、こう何ヶ月も更新が止まるとサスガに自分でもブログ存続の危機を感じていたところでした(苦笑)。

FC2のブログは一ヶ月更新していないところにコメントをもらうと勝手に「認証待ち」になるみたいですね。私自身はそういった小洒落たことはしないのですが、もしコメントして頂いた際に不快な思いをさせてしまっていたらゴメンなさい、不可抗力です(笑)。(^^;
2012-07-05 Thu 07:21 | URL | ごろた [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014-01-05 Sun 16:32 | | [ 編集 ]
思い出してもらえて嬉しかったです!よい新年を迎えられたか?と聞かれれば「おかげさまで!」と答えたい気分です。(#^.^#)
お元気でしたか?その後おかわりありませんか?

大瀧詠一さんといえば、私は彼の故郷付近で彼と似たような(全然似ていないうような?)血管の病気で死にかけました。1年前の事ですが・・・今は薬漬けですが安定しています。(^_^;)

そんなわけで(勝手に)お約束してたブログの更新ですが、放置したまま丸二年経とうとしていますが忘れてた訳ではないです。でも流石に放置にも限界を感じてきましたので、まとまらないまま再開する手段を模索しているところでした。

ただ再開したとしても以前のような人様と交わるブログではなく自閉症全開の独り言ブログっぽくなるでしょうからブログとしての存在価値はないかもです。( ̄▽ ̄;)ゞ

私は特に大瀧詠一さんの信者というわけではないですが(笑)、「A LONG VACATION」の完成度の高さは凄いと思ってます。(^^
2014-01-06 Mon 17:39 | URL | ごろた [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014-01-11 Sat 18:12 | | [ 編集 ]

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2012-10-25 Thu 04:36 まっとめBLOG速報
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